早稲田大学シュプリンゲンスキークラブ公式ブログ

早稲田大学公認のアルペンスキーサークルです!

MENU

岩岳を愛した男

今年も激闘であった、第46回全国学岩岳スキー大会が閉幕し、はや1週間が経とうとしている。Aチームは悔しさと嬉しさが入り混じる3位。昨年チームを引っ張ってきた2人が抜けたことを考えれば大健闘の順位ということが出来る。その活躍の様子は、大会期間中にブログで書かれた通りである。

今回は、Cチームのある先輩にスポットライトをあてて、尊敬と感謝の意を込めてこのブログを書きたいと思う。

 

 

優勝を狙う者。来年の特別シードが与えられる30位を狙う者。ポイント獲得を狙う者。

さいころからスキーを続ける人から大学生になって初めてスキーを履いた人まで、多種多様な人たちが、様々な目標をもって挑む「岩岳」という大会。

岩岳」という大会には一人ひとりそれぞれの物語がある。

 

これは、6年間ものあいだ夢を追い続けた男の物語である。

f:id:springen_ski:20190320120306j:plain

早稲田大学シュプリンゲンスキークラブ・44代 坂本 暁祐。

「誰よりも岩岳を愛し、岩岳に懸けてきた男」である。

 

そんな彼にとって、6回目のそして最後の挑戦となる第46回全国学岩岳スキー大会。

その初戦となる男子SG(滑降代替)のスタートリストに彼の名前が連ねられることはなかった。その原因を探るには、ちょうど1年前まで遡らなければならない。

 

 

―――――――――――――――――――――――――

昨年、第45回全国学岩岳スキー大会。シュプリンゲンスキークラブは、岩岳連覇を果たした年以来では最強のチームを形成し、優勝候補に挙がるほどであった。もちろん、メンバー全員が狙うのも、表彰台のテッペンのみ。そこに向けて、気合十分であった。

迎えた初日のDH。前評判通り、得意種目で2位に66点もの大差をつけ、ダントツトップの340点を獲得し、絶好のスタートを切る。

しかし、前日に行われたトレーニングランでは206bibから54点を獲得したにも関わらず、彼が獲得したDH競技での得点は0点であった。それは、1度目のクラッシュによって、途中棄権に終わったからである。

ゴーグルとヘルメットが破損するほどの大クラッシュ。本来ならば、翌日のSGをスキップし、技術系2種目に備えるべきだっただろう。しかし、彼の優勝に懸けるその想いと、0点に終わったDHに対する自責の念は、常人のそれをはるかに超えていた。

彼は、無理を承知で翌日のレースへの出場を決めた。

 

迎えた翌日のSG。強行出場した彼は、急斜面の直後で大会2度目の大クラッシュをすることになる。1度目のクラッシュも、ゴーグルとヘルメットが破壊されるほどの大きなもの。このときすでに、彼の体はボロボロだったに違いない。様々なことを背負ってスタートしたであろうSG。身体にかかる重力加速度に、優勝への想い・“昨日の分まで”という気持ちが加わり、それら全てを受け止めきることはできなかった。

2度目のクラッシュにより前十字靭帯の損傷など大けがを負うことになった彼の、45回大会は失意のどん底のうちに幕を閉じた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

あの日から1年後の、2019316日。

春の岩岳では珍しく、雪が舞っていた。

 

Bib260 坂本 暁祐。

彼は、再び聖地・岩岳へと帰ってきた。

スタート台からコースを見下ろしたとき、彼は何を思ったのだろうか。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

ここまでの道のりは決して平たんなものではなかっただろう。

再建手術をうけるのが遅かったこともあり、今シーズン雪上に立って練習するということはついには叶うことはなかった。

それでも、「誰よりも岩岳を愛し、岩岳に懸けてきた男」は、再び、聖地・岩岳に帰ってきた。

今シーズン初滑り。初ポール。後から聞けば、医師からのGOサインも出ていなかったという。

そんな中ベストなパフォーマンスなどできるはずもない。それでも果敢にアタックしてくるスピリッツには心を揺さぶられるものがあった。

f:id:springen_ski:20190320121346j:plain

装具をつけての滑走

 

岩岳ラストレースのリザルト

219位 Time50.97 dif11.07)。

 

彼の実力からすれば、当然納得のいくリザルトではなかっただろう。

それでも、私は、学生最後の年に岩岳に出場することに大きな意味を感じた。

 

f:id:springen_ski:20190320123400j:plain

同期の井堀先輩もかけつけた。

 

2019316日。彼の学生スキーはこの日をもって幕を閉じる。

 

しかし、6年間も岩岳に闘志を燃やし続けた男の歩みがとまるとは思えない。

懸命にきった岩岳のスタートバーは、第2の人生への始まりを意味するものだったのかもしれない。

これまで、数多くの名レーサーを輩出してきたシュプリンゲンスキークラブの歴史の1ページに彼の名が深く刻まれることは言うまでもない。

f:id:springen_ski:20190320120941j:plain

 

思い返せば、初めて坂本先輩とスキーをしたのは、志賀高原サンバレースキー場でのアイスティーカップだった。そのときは坂本先輩に完敗したのを今でも覚えている。

f:id:springen_ski:20190320120903j:plain

懐かしの。

そこから彼を追いかける旅が始まった。

2年時の北竜湖の練習。坂本先輩に勝てるようになったと思い、勝負を挑んだものの敗れて、坊主頭になったことも懐かしい。

その2週後のオール早稲田で、ついに勝利した喜びは忘れられない。

 

大学院生になっても、研究と両立させながらスキーに打ち込む姿は、私の憧れであり、目標であった。

誰からも愛される優しい人柄。それとは裏腹にやんちゃでいじられキャラの一面もみせる。

f:id:springen_ski:20190320121159j:plain

こーすけさかもとTシャツ

みんな大好きな先輩。

 

f:id:springen_ski:20190320121246j:plain

 

私は、そんな坂本先輩と一緒に3年の月日を共にできたことを誇らしく思います。

本当にお疲れ様でした。

そして、心からありがとうございました。

 

最後に、彼にぴったりのこの言葉を贈って、筆をおくことにしようと思う。

 

『希望と力に満ちた  青春の日に  君が情熱を燃やし  創意をこらした  結果をここに讃える

願わくは  スキーを  生涯の友とされん事を』

 

美崎

 

p.s.

拙い文章で申し訳ございません。

面と向かって言うのはちょっと恥ずかしいのでブログで。本当は岩岳直後に書きたかったんですけどね。やっぱり研究室との両立は大変ですね(笑)

来年こそは、必ず優勝します。

是非、OBとして、応援にきてくださいね!

しっかりけがを治して、完全復活した坂本先輩とまた滑りたいです