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『週刊アルペン語り』第二十八回 スキーをする理由

もしも大学一年の春に戻れたなら、どんな後悔を人は口にするだろう?

「もっと恥をかいておけばよかった。」

当たり前だ。誰だってそんなことは分かっている。

「好きって言わなかった。」

これも、当たり前。

「駆け引きの真似事なんかせず、あの夜家に行っておけばよかった。」

なんてあられもない後悔もあるだろう。

あるいは、こんな後悔もあるかもしれない。

「もっと、熱中できることを見付けられていれば。」


私がアルペンスキーを好きなのは、ある景色を見たからだ。

赤、青のポールが交互に立つ、誰も居ないバーン。

薄青の雪面。

遠くの山景。

周りの人の声援。

その全てが、自分の為だけに存在している。

スタート台からの景色だ。

アルペンスキーをする人間は皆、その贅沢な景色を目の当たりにする。

直後、雪上に投げ出されたアルペンスキーヤーたちは、孤独な戦いに挑む。

アドレナリン。緊迫感。スピード。衝撃。あらゆるエクストリームな言葉たちをごちゃ混ぜにした数十秒を過ごし、ゴールに辿り着く。

まずは、完走できた安心感。

心地よい疲労

部員たちからの、温かい労いの言葉。

幸せな時間だ。

それでも。

どれだけ楽しい、幸せな時間を過ごしたとして、リザルトはいつだって、圧倒的現実を容赦なく叩きつけてくる。

タイムを映す電光掲示板の一番上にBib番号を刻んだ人間以外は、全員、敗者だ。

そして、負けて悔しくない人間など、一人もいない。

その電光掲示板を見た瞬間から、あらゆる後悔、悔しさ、憤りがこみ上げる。

それでも必死で美しい振り、先輩の振り、大人の振りをした綺麗な表情で、

「後輩のみんなが完走できてよかった!」

なんて、嘘でも本当でもない言葉を誰に向けるともなく投げる。

レーニングを怠った。ストレッチを怠った。練習を怠った。
それでもチームメイトたちは、

「お疲れ様でした、かっこよかったです。」
「速かったです。」

としか、言ってはくれない。

シーズン中の怠け切った自分の過ごし方を、責めてくれる人はいない。

負けた悔しさの責任を取ってくれる人がいないように。

そんなレースが、もしも人生最後のレースだったら?


この社会では、何にも熱中出来なかった不能感を、あるいは燃え残って臭気を放つ感傷を抱え、それを誰からも見えないよう、胸の奥底に仕舞い込んだ人間だけに「大人」という称号が与えられる。

その日々を青春と名付けて過去にした者達は、胸に隠したそれを引き摺って数十年を過ごす。

それでも最後は、いつか、恋だの、愛だのが救ってくれるのだろうか?

学生時代の後悔を、たったひとり愛した恋人に、頑張ったね、偉いね、と慰められて瞼にキスでもされたなら、涙を溢し、綺麗サッパリ忘れられるのだろうか?

この瞬間のために生きてきたと思えるのか?

すべて報われるのだろうか?

なんてロマンチックで、なんて下らない人生だろう。


ところでこの下らない世の中で、永遠はどこか。

誰だって永遠が欲しい。

誰だって大人になんてなりたくはないのに、この世に一切の永遠が存在しないのは、十分、絶望に値する。

それでも、スキー競技者にだけは、永遠に記憶に残る一瞬が、ひとつだけある。

「あの瞬間だけは、永遠だ」と、断言できる一瞬。

アルペンスキーをやっている人間はみな、その一瞬が欲しくて欲しくてたまらくて、競技を辞められないでいる。

しかし残念ながら多くのアルペンスキーヤーは、その一瞬を手に入れられないまま競技人生を終えることになる。

馬鹿げている、と言う人は大勢いるだろう。成功する確率の限りなく低い挑戦を繰り返す。大怪我する危険だってある。

狂っている。

真っ当な意見だ。

しかし、それでもその一瞬のためだけに、365日を捧げる競技者は少なくない。

ゴールラインを切り、振り返る。

雪煙の中、数字が並んだ光る看板を睨む。

数秒間。

点滅する電光掲示板。塗り替わるBib番号。

白。この世から一切の音が消える。


多くのスキーヤーが恋い焦がれる、その永遠の一瞬。

そのために、


きみは、何を賭ける?


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東京医科歯科大学スキー部2年

第29回全国看護学生スキー大会 男子GS競技 優勝

舩山直人

p.s.
高峰さん、野口さん、寄稿のお誘いを頂きありがとうございました🙇